「…うーむ」
早朝。
ここは、空賊のアジトの一角に、つい先日許可を得て設えた鍛錬所。
そこに、木刀を片手に唸る少年、御剣志狼がいた。
仲間の大多数がギルドの依頼を受けて外出しているため、
普段は絶え間なく激しい物音が支配している鍛錬所は、
今は静かなもので、志狼のあげるさほど大きくもない唸り声が、やけに響いた。
どういう訳か、その手には自身が使用していたと思しき右手の木刀とは別に、
左手にも、もう一振り木刀が握られていた。
二刀流の鍛錬をしていて、煮詰まってしまった、というわけではない。
なにしろその表情は、上手くいかない苛立ち等とは違う、困惑一色に染まっているのだから。
「…どうかしましたか?志狼君」
「!正人さん」
志狼が振り返ると、そこには柔軟体操で体を解す、
勇者機兵隊の隊長、神条正人の姿があった。
「察するに、その木刀が唸りの原因のようですが」
「えぇ、まぁ…何というか」
「正確にはそれを振るっていた人物、が、正解なのでしょうが」
「…はい」
一部始終を見ていた正人は、それが誰かを知っている。
「ジークさん、ですよね」
苦笑しながら、正人は指摘した。
正解、と答える代わりに、志狼は、ふぅ、と軽く息を吐き出した。
「朝食の仕込みの続きの時間だ、とかなんとか言って」
「そろそろ皆が起きる頃ではありますが…ねぇ」
志狼の記憶力が確かなら、既にジーク自身の手によって、
充分過ぎる程の仕込みが済んでいたはずだが。
突発で、一品なり二品なり、増やそうと言うのだろうか。
因みに御剣家の和食担当であった志狼であるが、
和食向けの食材確保の難しさ故に、戦力外通告されてしまっていた。
家事に充てる時間を稽古に回せるので、嬉しさ半分、寂しさ半分ではあるのだが。
とにもかくにも、
「稽古を途中で抜けられたのは、後にも先にも初めてだったので、驚いてしまって」
「なるほど…」
正人は柔軟を終え、立ち上がりながら思い返していた。
この鍛錬所が完成した直後、剣十郎の稽古を受けたことがあったのだが、
(あれは鍛錬というより…)
対峙した者に対する気迫や、剣技応酬の錬度。
どれをとっても、気の抜く暇は一瞬たりとも無い、
まさに実戦そのものであった。
稽古を中断などしようものなら、
文字通り、木刀で背中を斬られるに違いない。
「心中お察しします」
苦笑いを濃くしながら、正人は志狼に向かって右手を差し出した。
志狼は一瞬首を捻り、直後、
合点がいったように、木刀を一振り差し出した。
「あのお父上と幼少の頃より鍛錬を積んできたと聞けば、納得です」
一定の距離をとり、
カッ
両者は形式的に、木刀の剣先を合わせる。
「ここに飛ばされる前にいた戦艦にも、様々な世界の勇者が在籍してましたが、
戦いが副業だと言い切ったのは、ジークさんが初めてでした」
ウィルダネスから来たイサムは職業勇者だが、
それもあくまで戦いによる収入ありきなため、ジークとはやはり違う。
正人は木刀を正眼に構える。
剣道のソレに近いが、両足は前後させず、軽く左右に開くのみ。
対する志狼は、左手を前に翳し、右足を引いて半身になると、
右手の木刀を軽く握って、地面スレスレに切っ先を下げる。
「不真面目で、とても共闘出来ない、と?」
「いや、それが…」
どこから攻めるか、考えあぐねるのと同じように、
「?」
正人は志狼の視線から、迷いを感じた。
「意外な事に、剣筋自体は真っ直ぐで」
しかしそれも一瞬。
志狼は一瞬で間合いを詰め、木刀を突き出した。
「迷いは一切感じなかった」
「…分かるものなのですか」
正人は構えをそのままに、突き出された木刀の切っ先を、
軽く打ち据える事で軌道を反らさせ、鍔迫り合いに持ち込む。
「まぁ…直接剣を交えれば。大体の性格が」
志狼はそのまま全体重を掛ける。
直後、正人が押し返してきた力を利用して、一旦距離をとる。
「正人さんが、名前の通り、真っ直ぐで真面目なのも」
「根っからの剣士なんですね」
まだこちらからは手を出していないのに、と、
正人は苦笑しながら、改めて木刀を構え直した。
「…剣と家事しか知りませんから」
褒めたつもりだったのだが。
予想していたリアクションと異なったことに、正人は違和感を覚えた。
褒められることを良しとしないのは、目指す高み故なのか。
とはいえ、
「似てると思いますが」
「え?」
それが、正人の率直な意見だった。
ゆらゆらと左右に剣先を振り、意識を逸らせると、真正面から頭部を狙う。
「ジークさんと君は。ただ、スタンスが少し違うだけ」
「…」
腑に落ちないのか、思い当たる節があるのか。
志狼は器用に、左手で木刀の腹を軽く叩き、正人の木刀を床下へと誘導すると、
右手一本で喉元に突きを放った。
「スイッチの切り替えタイミングが違う、とでも言えますが」
正人は身体の重心を深く後ろへと傾け、引き落とされた木刀を引き戻し、
突き出された志狼の木刀の切っ先を、真上へ跳ね上げる。
同時に、左足を引き、踏ん張ると、重心を前に。
志狼の胴を狙い、真一文字に木刀を振り抜く。
「…参考までに」
志狼は右手の木刀をあっさりと手放し、空いている左手に持ち代えると、
力を込めて、正人の木刀を受け止める。
十字に交差する両者の木刀が拮抗する。
「正人さんのスイッチの入れ替えタイミングは、どんな時なんです?」
「私はちょっと、お二人とはタイプが違うかもしれません」
「?」
苦笑しながら、今度は正人が志狼の力を利用して距離を取った。
「常にスイッチが入りっぱなし、というか。
任務にしろ、戦闘にしろ、全力でやって、やっと、という有様ですから」
「…」
思い返してみれば、志狼はここ数日間、
正人が手を休めている様を見たことがなかった。
乗機と紹介されて格納庫に収納された、
『勇者機兵』ストライクキャリバーの修理、調整。
マナという概念の勉強。同時に、妙な進化のきっかけとなった、妖精の理解。
周囲、および世界の情報、情勢収集。
ブリットやユマと協力して、暇さえあれば何かに手を付けているような気がする。
「周囲の助けもあって、何とか務めています。
それゆえ、手の抜けないところもありまして」
正人は木刀を突き、と見せかけて一旦引き、袈裟斬りを仕掛ける。
「疲れないんですか?」
一瞬の何気ないフェイントに引っかかり、危うく一撃入れられそうになりながら、
志狼は何とか身体を捻り、木刀を正人の剣の軌道上に割り込ませることに成功した。
「私にとっては、これが普通ですからね。
機兵隊のメンバーも、概ねそういう人間だらけで」
「隊長さんのポリシーが隊全体に伝染してるんじゃないですか?」
危険な時こそ前に出る。
御剣流の流儀に習い、志狼は傾きかけた体勢を前へと倒し、
掌低を構える。
しかし直後、慌てて掌低を引っ込め、後方へと飛び退った。
「…そんなに殊勝な人間いたかな」
剣術オンリーの訓練のつもりだったので、慌てて手を引いたのだろう。
正人は合点がいったように手招きした。
視線が何故か遠くを見ていたので、志狼は躊躇ったものの、
遠慮なく体術も使うことにした。
「元からそういう性質を持った人間ばかりが集まっていたはずです。
よく、救護部隊の女性隊員に皆叱られてますよ」
正人は突き、と見せかけて一旦引き、袈裟斬りを仕掛けた。
仕切り直し、とばかりに同パターンの攻撃を仕掛ける。
当然、その鋭さと素早さは先程とは比較にならない速度だが。
「え、それって実は…」
しかし同じ軌跡、同じ剣筋で繰り出された木刀を、
志狼のその見切りの目は的確に捉え、身体はそれに反応した。
フェイントには引っかからず、振り下ろされた木刀を翳した左手で摘み取る。
「!」
床に向かって木刀の切っ先を投げ捨て、木刀の峰に自らの木刀を、
まるで滑走路のように走らせる。
「その方も、皆の健康管理で全力出しっぱなし、だったりして?」
首元に到達したところで、木刀はその動きを止めた。
「…その発想はありませんでしたね」
一本取られた。
同じ軌跡、同じパターンはやり過ぎたか。
正人は苦笑して両手を挙げた。
正人は知っていた。
稽古の際に見た、彼の特異な見切りの目を。
剣十郎の稽古の際に、神速と形容するに相応しい、その剣撃に対して、
彼の『目だけは』、それに反応出来ていることを。
「まさか、全く同じ軌道でくるとは思いませんでしたよ。
どれだけ正確なんですか、正人さんの剣筋」
やはり見えていたらしい。
改めて、たった一つの事に特化した彼を、素直に賞賛したいと思ったのだが、
ここはあえて、指摘しない方がいい気がした。
そのストイックさが、彼の成長に必要ならば。
「参りました。
それと今度、その点を彼女に指摘してみるとします」
その代わりに、そう答えた。
志狼としては、その女性隊員に、
手痛い反撃を受ける正人の姿が、容易に想像できていたのだが。
「…頑張って下さい」
志狼も正人同様に、余計なことは言わない事にした。
きっとそのやり取りも、彼らにとってはおそらく日常だろう、と、
見当をつけて。
「怪我、早く完治するといいですね。
色々と程々にしないと、救護隊員の方以外にも指摘されちゃいますよ」
正人から木刀を受け取ると、志狼はそう言って笑いながら後片付けを始めた。
本調子でない事も、剣を交えて知ったのだろうか。
「…肝に銘じておきます」
苦笑しながら、正人は肩を竦めるのだった。
「すまないね、調査や調整があるので、長時間は付き合えないのだけれど」
「いえ、無理言ってすみません」
予想通り、一品二品増えていた食事の後、
腹ごなしに軽く身体を動かそう、と、
志狼と正人は、再び鍛錬場を訪れていた。
「御剣志狼君!」
「!ジークさん」
突然ジークに呼び止められた。
先の件があるせいか、身構えてしまう志狼だったが、
ジークは全く意にも介さず、瞳をキラキラと輝かせて、
興奮気味に言った。
「志狼君、倭国って知ってるかい!?」
「い、いえ」
この世界に先に来たのは自分たちだが、初めて聞く地名だった。
「端的に言えば、昔の日本のような所さ!」
「それって…」
ピンと来た。
ジークが何を言わんとしているのか。
「和食の食材が安価で手に入るかもしれないよ!
これからカイザーバーンでひとっ飛びしようと思っているんだけれど…」
「行きます」
「早ッ!?」
思わず叫ぶ正人。
聞かれる前から、答えを用意していたとしか思えない速度だった。
彼の斬り込み以上に、その返答は早かった。
「正人さんも一緒にどうかな!?」
何故だろう。
一波乱起こりそうな、嫌な予感が止まらない。
出来れば付いていって、自身の不安を解消したいところではあるのだが。
「…今回は遠慮しておきます。
ストライクキャリバーの調整がまだ完全ではありませんので」
残念ながら、剣であり、足となる愛機、
ストライクキャリバーは、未だ修復が完了していない。
「「じゃ、早速行って来ます!」」
その行動の早さが、正人のさらなる不安を掻き立てる。
が、
「…上空には未知の魔物も多く生息しているようですから、
くれぐれもお気をつけて」
「「はいっ!!」」
一言添えるのが、今の彼の精一杯であった。
食材に思いを馳せる台所の戦士達は、こうして旅立って行った。
「…やれやれ」
一気に静かになった鍛錬所に、
さほど大きくも無いはずの、正人のため息が響き渡った。
今は鍛錬よりも優先順位の高い案件が多い。
正人は鍛錬所を後にし、これからすべき事を、頭の中で反芻した。
(ストライクキャリバーの修復、調整、現地の情報整理、
魔法、及び妖精の知識習熟…)
それから、もう一件。
(…志狼君用の、木剣の調達、かな)
太刀筋と、搭乗機体の武装から、最適の鍛錬具に見当をつけた正人は、
また一つ、仕事を己に課したのだった。