空山(そらやま)リオンは万能戦艦「ラストガーディアン」内部の研究室の一つで薬品の調合を行っていた。

薬学は専門家ではないが、専門外では無いほどの知識を有している。

過去、兵器開発を命じられ、クライスターという機動兵器を開発した事もある彼だったが、本来の目指す所はそれとは異なっていた。

人を傷つける兵器ではなく…人を癒す医療機器の開発こそが、彼の夢である。

今日もまた、出撃の合間を縫って研究をしている所だった。

「……ん〜」

出来た液体を天井の照明に透かして色を見ようとして……

「ん?」

天井の蛍光灯がチカチカ点滅し、片端の色が変わっているのが見えた。

見る間に点滅の頻度が増し、見ているだけで疲れそうになる。

「本当は発光ダイオードにしたらいいのでしょうに。…こんなこと、言い出したらキリが無いんですけどね」

考え事をしている時の癖の独り言を呟きながら、研究室にストックされている予備の蛍光灯を探す。予備も無ければ購買に行くしかないのだ、その手間も必要なく容易く蛍光灯が見つかる。

それを交換しようとして…

「…」

室内はリオン一人。そして決して高くない彼の身長にとって天井は遙かな高みにあった。

身体能力は常人の数倍で、天井まで跳び上がるのは簡単なのだが、その能力も蛍光灯の交換には使えない。

机の上を片付けて、更にその上に椅子を置いて乗る。蛍光灯を手にして、天井に手を伸ばすが……

届かない。

頑張って背伸びしてみるが、もう少し届かないのだ。

更に背を伸ばしてみて、次の瞬間足下の安定性が失われるのを感じた。

一度崩れた安定を戻すことは出来ず、取り替えることに集中していたために体勢を立て直す余裕も無い。

迫る床をどこか達観して見ながら「ミニオンに替えてもらえば良かったんですね」と小さな後悔を思いつつ暗転。




「…………」

 気絶していたのは一瞬だろうか。床に倒れていたリオンは怪我らしい怪我もなく、むくっと身を起こす。

「……?」

まずは白衣の乱れを直して、立ち上がったリオンだがすぐに違和感が彼を襲う。

さっきまでいた研究室なのだが、何かが違う。

記憶しているほどでは無いが、室内の細かい部分が違うような気がする。

すぐ側に横倒しになった椅子が落ちているから間違いないはずなのだが…

その時、プシューと空気の抜けるような音がして、研究室の扉が開く。慌てて椅子を直し、立ち上がろうとするリオン。その扉の向こうに現れたのは全く見覚えの無い少年だった。

向こうもリオンの見覚えがないのか、メガネの向こうの目をちょっとしかめると、素早く右手を指鉄砲のような形で突きつける。直後、その手の中に黒光りする拳銃が現れた。

「!」

「誰ですか。返答次第では撃たなければなりません」

やはり聞き覚えの無い声。しかし向こうの態度を見ると、こちらが「招かれざる客」のような気がする。しかも今拳銃が現れたプロセスは見たことがある。勇者チームドリームナイツの使う、精神力を限定的に物質に変換するリアライズ(実体化)能力である。しかし、知っているドリームナイツは4人。しかし、目の前の少年はその誰でもない。

一瞬強行突破も考えたが、誰か知っている人に似ているような気がして、話し合いが通じる相手だと思ったのでリオンはおとなしく両手をあげる。

それを見ると銃を構えた少年は何処か安心したようにして、銃口をリオンから僅かにずらす。それでも警戒を怠ってないのは分かった。更に少女は逆の手でポケットの中から箱状の物を取り出した。

「あ」

見覚えのある物にリオンが一瞬声を上げたのに少年はちょっと不思議そうな顔をしたが、それでもリオンの方を警戒しながら箱のボタンを押す。

「こちら田島(たじま)です。第2研究室に不審者を発見。至急応援願います」

「な、ぁあ?!」

また驚いた声を出したリオンに、その「田島」と言った少年がどこか困ったような顔をする。なるほどよくよく見てみると、メガネの雰囲気とかどこか自信なさげな顔とかがある知り合いに似ている。

少年が操作していた「箱」はリオンが知っている限りはロードコマンダーという、ドリームナイツの一人田島治美の持っている物だろう。

彼女に兄弟がいるという話も聞いたこと無いし、男装しているとかいう雰囲気でもない。

「ええと…… その、僕に何か?」

「すみません。僕の知っている人にどこか似てまして……」

「あ、そうでしたか。実は僕も知っている人に似てるな、とは思ってたんですが」

ちょっと待てちょっと待てちょっと待て。

脳裏に危険信号が走る。今考えた仮説は危険すぎる。

しかし、リオンの頭脳は一つの仮説を90%以上確かと判断していた。ピースがもう一つあれば間違いなく絵が見えてくる。

「謙治!!」

〈謙治様!無事でございますか!〉

二つの足音――しかも一つは重量級&金属質――と声が聞こえてきて、悲しいかなリオンは現実を見つめるしか無かった。

「ああ……」

入ってきた長髪の少女と、年を経た老練の声の赤いドラゴン型ロボにリオンはその場で膝をついた。





「にわかには信じられないが」

昼下がりの食堂の片隅で、草薙咲也が眉を寄せる。不審人物とはいえ、害意を見せないリオンに事情を聞いていた謙治と神楽崎麗華が、時空間技術の博士号を持つ咲也に相談したのだ。

「ここまでこちらの内情を知っているとね」

どこか苦笑気味の咲也。

艦内で起きた事件の数々(甲板の決闘を始め、幼児化薬騒動にプール大放電や鬼退治etcetc…)を語ると信じるしかない。

「しかし平行世界(パラレルワールド)とはね」

「あり得ることなのか? 草薙」

「何とも言えませんね。でも“俺”がもう一人いる、ということは異世界と言うより平行世界か、もしくは虚像世界と言うべきかもしれないですが」

尋ねたのは腕組みしながら聞き役に回っていた神崎慎之介であった。

リオンの戦闘力を見抜いて、何かの際に、と待機していたのだが、その心配は杞憂で終わるようだ。

「それにしても、リオンの世界では私…男性なのね」

「さぞかし美形なんでしょうね」

麗華の言葉を謙治が受けると「と、当然でしょう」と言いながらも照れたように横を向く彼女。それはまさにリオンの世界の二人のようなやりとりだった。

彼等の話を総合すると、今いるのはリオンのいた世界の住人が全て男女逆転している平行世界のようだ。どうやって来たかすら分からないし、そうなるとどうやって戻れば良いのか…

「そのような暗い顔をするな。この艦にいるのは不可能を可能にする者ばかりだからな」

慎之介が落ちついた声音でリオンを諭すように言う。

その言葉の中に込められた優しさが伝わってくるのを感じた。





さすがに個人レベルでどうにかなりそうな問題じゃなく、リオンは艦長に報告と相談をすることとなり、咲也達と艦の通路を歩いている。艦自体は全く同じなのか、構造などはリオンの記憶通りで迷う心配は無さそうだ。

時折すれ違う人たちがリオンを見て首を傾げる。

基本的にクルーは制服着用なので、私服で歩いていたらパイロットやそれに準ずる人間であり、そうなると大抵は顔が知られているわけで。

(目立っちゃいますね…)

知らない女が歩いていたら、艦内でも有名な男好きの…

(…ん?)

リオンの世界には西山音子(にしやま おとね)や剣持誠子(けんもち せいこ)のようなナンパ好きがいて、恋人がいる彼も何度も声をかけられているのが、

(「こちら」の世界でおふたりは……?)

想像力をフルに活用させる…までもなかった。

(…なんでしょう…想像するに違和感がありませんね)

そんな想像を巡らしていると不意に周囲の空間が変化するのを感じた。

「お?」

いないはずの背後から声が聞こえたと同時に、耳元を恐るべき破壊の意志が込められたモノが通過する。

「ちょっ、危ないじゃないのよ?!」

「避けられたのだから良いでしょう?」

先頭を歩いていたはずの慎之介がリオンに、いやその背後に向けて木刀を突き立てていた。

振り返ると、えらくラフな格好をした女性がやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめていた。実戦から離れているとはいえ鍛錬を怠ってはいない。だが、この女性の近づく気配を全く感じられなかった。

「ところで、何、誰?この可愛いボーヤは?」

どこか飄々とした表情。ナンパ、というよりは新しい玩具を見つけたようなイタズラめいた笑みを浮かべている。

脳内のデータベースをひっくり返す。「こっちの世界」の法則に照らし合わせるのなら、リオンの世界では男性。艦内トップクラスの剣士でもある神崎慎子(しんこ)と同等レベルの一撃をかわす能力に、気配を消す…

(いえ、違いますね)

気配を消したのではなく、いきなり彼の背後に現れたのだ。それがあの空間の変化の原因だ。

となると瞬間移動。となると……

「この際言わせていただこう。あなたのやっていることは、下手をすると痴漢行為だ」

「でさ、ホントに見たことないんだけど、誰?お姉さんにこっそり教えて?」

説教(?)にも聞く耳持たず、リオンの腕に腕を絡ませ、人なつっこい笑みを浮かべる女に、無言で慎之介が木刀を構え直した。

「トーコさん! 聞いているのですか!」

「分かったわよぅ。“今”はやめとくわ」

すると、その女…トーコは、リオンに向かってウィンクをし、笑顔を残してその場から消える。

「…ん〜」

理解しつつも感情がなかなか追いつかなくて、リオンは小さく唸った。





「あれ? 何かあったんですか?」

それまでの騒動に全く気づかなかったようにメガネの少年が振り返る。

そんな鈍感さまで“向こう”の人と一緒じゃなくても、と思わず苦笑い。

「そう。うん、ありがとう、御剣君」

その向こうでは麗華が誰かと話していた。こちらに戻ってくる所で視線が通り、その話していた相手が見える。

「…」

思わず考え込んでしまった。見覚えのない相手だ。

赤いジャケット、腰に挿してある短剣、逆立ったつんつんヘアー。

おまけに、お人よしさップリが、顔から滲み出ている。

どうにも心当たりがありそうで無い。今までの相手は、どこかしら、必ずと言っていいほどに「むこう」の人々との共通点があったのだが…。

(誰でしょう?)

そんな事を考えていたリオンの耳に、突然プロレス選手の入場を連想させるアグレッシブなメロディーが流れ込んでくる。

「天が呼ぶ…地が呼ぶ…人が呼ぶ!」

スポットライトに照らされ、その顔は見えない。

だが、目の前の少年には心当たりがあるらしい。顔が青ざめているのが見えた。

(あー…なるほど)

一連の喜劇を眺めているうち、目の前の2人の正体を掴むリオン。

「女の子といちゃいちゃしているシローを倒せと轟き叫ぶ!」

「…いつ誰といちゃいちゃしたよ、エリィ」

「シャラーップ!!それに私はプリティ・エリィなのだっ!!」

現れた仮面の(ある意味)怪人に、黒髪の少年は呆れ返っている。

「悪滅!!プリティー!クラアアアアアアッシュ!!」

「ぎにゃああああああ!!」

少女が飛び掛るのと同時に、少年の悲鳴が当たりに響き渡った。

だが一行は、何事も無かったかのように歩き始めた。

「あんまり驚いてないようだけど…“そっち”にも同じようなことがあるのかい?」

「…はい。まぁ」

咲也の困ったような声に、同じくリオンも困ったような笑みを浮かべた。

「あ〜…でも、こちらの方が、受けの方、大変だなーって思います」

「ああ…なるほどね」

咲也とリオンの苦笑は、更に苦くなった。





「艦長。彼をお連れしました。」

慎之介の声にブリッジ内の全員が振り向いた。

リオンはザッと、「向こう側」の人物達と照らし合わせてみる。

コンソールの前には金髪の少女…シャルロットと、金髪金眼の少女…メイアが座っていて、一段高い艦長席の左右に白衣とメガネを身につけた男性…小鳥遊一樹と、どこか落ち着きのない男性…神楽悠馬が控えている。

「彼が、空山君?」

艦長席の女性が振りかえった。左目の所を走る傷跡が僅かに見える。

なるほど、彼女がラストガーディアンの艦長なのだろう。

(…傷くらいしか、共通点が見当たりませんね)

リオンの額に、汗が光る。

「なるほど、確かに雰囲気はあるわね」

彼女…綾摩律子の言葉に、不意にリオンは思い出した。自分がここでは異邦人(エトランゼ)なのだから、自分に対応する人がいるはずなのだ。

「今、リオーネチャンを秋沢(あきざわ)クン達が探しに行っています♪」

金髪の科学者…エリク=ベルの言葉から出た名前に、心臓の鼓動が跳ね上がる。

「リオーネいないよ〜」

まず入ってきたのは泣き出しそうな顔の少女だった。

リオンの弟であるまなかを女の子にしたらまさにこんな感じだろう。

と、彼がリオーネを見て大きな目を真ん丸に見開く。

「リオーネ?!…じゃない?」

「あ…空山、リオン、です」

「そうなんだ。キミが別の世界から来た人なんだね。ボクは空山ほのか、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

頭を下げるリオンの顔を、ジッと覗き込むほのか。

「うん…やっぱり目がリオーネと同じだ。会わせてあげたいけど…どこ行っちゃったんだろ?」

寂しげに目を伏せる。と、そこに再びドアが開いて誰か入ってきた。

「ダメだ、こっちにもいない」

燃えるような赤のTシャツを着た少年が開口一番言った。

「しーちゃん!」

ほのかがそう呼ぶということは、秋沢 静紅(しずく)の“こちら側”の人なのだろう。

「…」

そして…全く同じ顔の少年が、反対側のドアから入ってくる。

同じ顔なのだが、もう1人の少年には焦燥と疲労の色が濃く出ている。

「あーちゃん…」

「兄貴…」

そう。秋沢飛鳥その人だった。

グッ、とリオンは拳を硬く握る。

自分が行方不明になって明日香も同じような顔をしているのだろうか。

自分の寂しさよりも先に明日香の事が心配でたまらなかった。

「分かったことがある……」

暗い表情で、少年が口を開く。

「リオーネはこの時空に存在しない」

そこで耐えきれなくなったのか、少年がよろけて壁に手をついた。





飛鳥の説明によると、空山リオーネもメダリオンを飛鳥から受け取っていた。

そして飛鳥は持っているサイザータブレットでその大まかな位置を知ることが出来るのだが、その反応が一切感じられないというのだ。

破壊されても分かるので、やはり別の世界に飛ばされたとしか考えられない。

「恋人がいなくなって落ち込んでいるところを申し訳ないですが、一つ、仮説をよろしいですか?」

微妙に一言多い。

特に反対意見もないので、では、と前置きをしてから説明を始める。

おそらくこちらの世界のリオーネと、向こうの世界のリオンが入れ替わったことには間違いないようだ。

その原因や原理は不明としても、きっと何か「キッカケ」があったはず。

「リオン君のお話を聞くと、蛍光灯を取り替えようとして落ちたそうですね。謙治君も同じ第2研究室のリオーネちゃんを訪ねようとしていたそうです。私の予想が正しければ……」

〈ご慧眼感服致します〉

のっそりとカイザードラゴンが入ってくる。その外観に似合つかわしい声が逆に違和感を感じるが、慇懃なのはやはり同じだと感じるリオン。

〈確かにリオン様が交換しようとした位置の蛍光灯が古くなっておりました。〉

「つまり2人が同じ行動をしようとして、同じように落下したためになんらかのシンクロが起きて、ということかしら?小鳥遊博士。」

「ええ、そうだと思います艦長。」

『…』

ブリッジ内に沈黙が降りる。

そんな信じられないほどの偶然で起こった事象をどう再現すればいいのだろうか?

誰も答えられる者はいない。

(ふむ)

エリクは1人、顎に手をあて、なにやら考えを巡らせていた。





いずれ分かることなので、その日の内にリオンは艦内に紹介された。

最初は半信半疑だったものの、幾人かが納得してしまうと、そのままアッサリと全員に受け入れられた。……ある意味“その程度のこと”は珍しくないのかもしれない。

空き部屋の一つを宛われたリオン。

まだ丸1日経っていないのに、とても遠くに来たような感じがする。

実際距離で測れない「遠く」に来てしまったのだが。

「…うぅ!」

不意に、全身を、黒い何かに押しつぶされそうになる。

絶大な不安。もう、帰れないんじゃないか…?そんな思いが心を支配する。

(いや…!)

まだだ。まだ終わりじゃない。

今艦内の技術スタッフが寝る間も惜しんで調査や研究をしている。無論、リオンを元の世界に戻すためだ。リオンも協力を申し出たのだが、この世界のことはこの世界の人間に任せてくれ、と丁寧に断られた。

おそらくは気を使ってくれたのだろう。

今もし研究に参加したら、結果が出るまでまさに飲まず食わずで専念するに違いない。

帰りたい気持ちも強いが、休めるときには休み、直ぐにでも行動に移せるように体力を温存しておく必要もある。

自分の感情を必死に抑えようとして、スピリットリングに向かって声をかけた。

「マザーパンツァー」

彼女も同じ世界から来た者だ。彼女の言葉を聞けば、少なくとも感情を抑えることが出来るはず。

そう思っていた彼だったが、いつまで経ってもマザーパンツァーからの返答は無い。

「マザー…?」

不意に、スピリットリングに視線を落としたリオンは、愕然となる。

「…!め、メダリオンが…メダリオンが…無い!?」





「あーちゃん!」

「!どうした、ほのか」

突然私室にほのかが駆け込んできて、飛鳥は驚いて彼女を見た。

「リオン君が!」

「!」

ほのかの一言に、彼は部屋を飛び出した。

「うわあああああああああああああ!!」

飛鳥が彼の部屋に駆けつけると、まず耳に飛び込んできたのは、リオンの雄たけびだった。

周りに集まっていた謙治、麗華、慎之介やトーコやエリィ、雫が道を空けると、飛鳥は部屋を覗き込んだ。

「な…!?」

その部屋の中は凄まじい惨状だった。

ベッドシーツはボロボロに引き裂かれ、鏡は叩き割られ、椅子が散乱している。

「おい!落ち着けって!どうしたんだよリオン!!」

「うわあああああああああああ!!」

志狼が必死になって羽交い絞めにしているが、半狂乱になっているリオンを完全に押さえつけるには至らない。

「リオン君!」

飛鳥はたまらずに飛び出し、リオンの傍へと駆け寄る。

「どうしたんだ、リオン君!」

「ヒック…!メダ…ォンが…!メダリオンがあああああああ!!」

「!」

嗚咽交じりのリオンの言葉にハッとなる飛鳥。確認すると、リオンのつけているスピリットリングからは、確かにメダリオンが消失していた。

彼の今の状態から察するに、ただ単に紛失した、というわけではないようだ。

(向こうで何かがあったという事か?)

考えられる状況としては、「向こう」の自分が、リオンから聖霊の行使権を剥奪し、自らの手元に変換した、ということ。

つまり、この世界に紛れ込んでしまったのは、彼ただ1人になってしまった、ということだ。

ガッ!!

「ッつ!」

「!!あーちゃん!」

「兄貴!!」

振られたリオンの腕が、飛鳥の頬を強かに打った。

だが飛鳥はそれでも退かず、リオンの腕をしかと掴む。

「しっかりしろリオン君!!」

「僕は…僕はこの世界で一人ぼっちなんだあああッ!!」

「違う!!君は1人なんかじゃない!!」

「!」

飛鳥はリオンの頭を力強く抱え込んだ。

「君は…!決して1人なんかじゃない…!」

「飛鳥さん…」

飛鳥は志狼に目で合図し、部屋を出るように伝える。

志狼は頷くと、雫とほのかを残し、全員を部屋の外へと連れだし、ドアを閉めた。

リオンは力なく肩を落とし、フルフルと震え始めた。

「分かってるんです…!明日香さんが、僕を見捨てたわけじゃないって…!向こうで何かがあったんだろうって…!」

「ああ」

「でも…それでも怖いんです!どうしようもなく、怖いんです!!」

「…ああ」

「うう…うわあああああああ」

リオンは大声で泣き始めた。

ほのかがリオンの頭にそっと手を乗せ、雫はその肩に手を乗せた。

その泣き声は、ドアの外にまで伝わっていた。

「ち…っ」

トーコが不機嫌そうに舌打ちする。

「やりきれんな」

慎之介の言葉に、全員が頷いた。

と、突然次の瞬間、艦内警報が鳴り響いた。

『ディメンションディストーション反応アクティブ!!艦内部に発生しようとしています!!推定質量は100キロクラスと推定されます!!艦内コンディションをイエローからレッドに移行!!』

「!!な、艦内に敵!?」

エリィの悲鳴のような声に、謙治も麗華も顔をしかめる。

「!!」

そして、何者かの気配を感じて、全員が視線を一点に集中した。

そこには、人型のロボットが立っていた。

全身を鋼鉄で固めた、どこかブロンに似通った外装をしている。

「一応、何をしに来たのかを聞いてあげるわ」

麗華が身構えつつ言う。

「この艦に、異常な時空転移の反応が2度、確認された…それを、トリニティにとって有益であれば持ち帰り、そうでなければ…消す」

「!!」

麗華の言葉に、トリニティのロボットは淡々と答えた。

「つまり、狙いは空山君、ということですか」

謙治は銃をリアライズし、構える。

(…2度?)

エリィはロボットの言葉に疑問を感じ、頭の中で反芻する。

一度目は、十中八九リオンがこちらの世界に来た時の反応だろう。

だが、もう一度は…?

「「およびじゃねぇんだよ」」

「!!」

「失せなッ!!《ボルト・ナックル》ッ!!」

「雷鳴拳ッッ!!!」

ドゴォオオッ!!

「な…にぃ!?」

2つの、雷を纏った拳が、前後からトリニティロボの胸部にめり込んだ。

「シロー!トーコちゃん!」

斬ッ!!

そして、トリニティロボットは、頭部から真っ二つに切裂かれ、火花を散らしながら床に転がった。

「ふん」

床に転がったスクラップを一瞥すると、慎之介は刀を鞘…木刀に納めた。

「…なんか、一瞬でも焦った自分が馬鹿みたい」

「同感です」

謙治は手からリアライズした銃を消失させると、麗華に向かって苦笑した。





敵は撃退したものの、根本的な問題は全然解決していなかった。

そう、リオンの問題である。

咲也を中心に色んな科学者・研究者が必死に調べているのだが“向こう”に繋がる手段が見つからない。

そんな中、散々泣いた後、吹っ切れたリオンは飛鳥や雫、ほのかに付き添われ、艦長室を訪れていた。

「僕にも、何かお手伝いさせてください。やはり、自分の事でもありますし」

「…そう。あなたがそういうのであれば、ムリに断ったりはしないわ」

目元の涙の後に気付きつつもその事には触れずに、律子はリオンに笑みを向けた。

「でもね」

律子はデスクの上に置いてあったディスクをリオンに差し出した。

「…?これは…?」

「エリクさんが収集した、メダリオンの軌跡よ」

「!メダリオンの…!?」

「そう。あなたのスピリットリングからメダリオンが消失したと知るや、エリクさんはメイアさんに、時空の揺らぎを観測するように指示したわ」

「…!」

「確かに…アースフォートレスと同質量のエネルギーが移動するとなると、その軌跡を辿るのは…そう難しい事じゃないものね?」

リオンや、飛鳥たちはポカンと呆けたように口を開けたまま固まった。

「そのエリクさんから伝言があるのだけど…」

「…お願いします」

リオンが頷くのを見て、律子は言った。

「『君は聖霊の主である前に、1人の科学者のはず。僅かにでも可能性があるのならば、俯かずに前を見なさい。膝をつかずに歩きなさい。君は、自ら帰還の可能性を潰してしまう所でした。科学者ならば、常に冷静でいる事です』…以上よ」

「…胸に刻み込んでおきます」

リオンは胸に手をあて、深く頷いた。





そうこうしている内に、リオンがこちらの世界に来て1週間が経った。

1週間も経つとさすがに不安で押し潰されそうになる。

夜もなかなか眠れずに、もやもや色々考え疲れたころにやっと眠りにつけるくらいに。

だが、この艦の人は、皆が皆、自分を叱咤激励してくれる。

『諦め、座り込む前に、信じ、前に進め』、と。

そんな考え方が、言葉が今、彼を突き動かしていた。向こうでは無かったほどに、今は活力が湧いてくる。

恐らくは「向こう」よりも、男性の比率が高いからだろう、とリオンは分析していた。

冷静に考えれば、そんな事も見えてくる。

(明日香さん、待っていてください…必ず戻ります)

「リオン君」

食堂で食後のお茶を飲みながら最愛の人に思いを馳せていると、咲也が声をかけてきた。

「時間だ」

「はい」

リオンは湯飲みを置くと、立ち上がった。





「艦長、時間です」

「ええ」

メイアの言葉に艦長が視線を向ける。

「クロノカイザーの時空ゲートシステムを用いて、メダリオンの軌跡から割り出した時空地点に、出力が許す限りにデータパケットを送信。スクランブルをかける。クロノカイザーと同等のシステムでしか受信できないようにして、“向こう”とコンタクトを取る…」

「今出来る、最善の策ね」

「はい」

そのための準備も、この1週間の間に、念入りに済ませておいた。

メイアが自らの身体をクロノカイザーの時空ゲートシステムにリンクさせる。虚空を見つめながら、更に遠くを見つめる。不意に「ん?」という感じで首を傾げる。

「……エコー?いや、違いますね。反応あり、です」

めまぐるしく指がコンソールの上を走る。

「平行世界における同一の時空ゲートシステムなら、同じクロノグラフで作動しているはず。恐らくはシンクロニシティ発生のタイミングも割り出せるはず」

「後は、向こう次第ね」





残り時間は約1時間。

念入りに準備を進め、今もシステムをチェックするべく、整備班と観測班が、クロノカイザーを取り囲んでいる。

クロノカイザーのシステムチェックに、艦の方向をイレブンナインの精度まで正確に北に向ける微調整。

その他のクルー達も、リオンの帰還のタイミングを予め知らされていたので、「お土産」を次々に彼に手渡していく。

そして、クロノカイザーの手の上に持ちきれないほどの「お土産」をもったリオンが立つ。

かわるがわるに別れを惜しむ声を聞きながらリオンが涙ぐんでいると、少しずつタイムリミットが迫る。

「クロノグラフに設定値を入力。

 後はオートでカウントダウンしていきます。それではボンボヤージュ(良い旅を)。」

息を詰めて見守る中、モニタに表示される数字が0に向かって落ちていく。

3…… 2…… 1……

0になった瞬間、歓声が聞こえて一瞬世界が揺らいだ。





「…あれ?」

モニタのカウントがマイナスになっている。

立っているところもクロノカイザーの手のひらの上で、周りにいる自分を見送ってくれた人も。

「リオン!」

「あ…」

手からもらった「お土産」がこぼれ落ちる。

「…」

涙までもが瞼から落ちそうになるのを、懸命に堪える。

クロノカイザーの掌から鮮やかに飛び降りると、手を顔の前に持ってきて、一振り。

「ただいま。明日香さん」

次の瞬間、明日香はその胸に飛び込んだ。

「ごめんなさい…ごめんなさい!」

「何を謝っているんです?僕はほら…こうして無事に帰ってきたじゃありませんか」

「…!」

「ね、それでいいでしょう」

ニッコリと笑うリオン。明日香はその胸に顔を埋めて、大声で泣き始めた。

こうして無事に空山リオンは平行世界からの帰還を終えたのであった。

おそらくはもう一人の自分も…

(…ん?)

目の前に、一枚の写真が舞い降りてくる。

そして、その背面に、なにやら文字が書かれているのに気が付いた。


でもね、リオン君。たまには思いっきり倒れこむ事も必要だよ。そうすることでも、また別の何かが見えるはずだからね♪


「…ありがとうございます」

リオンの頬を、一筋の涙が零れ落ちた。

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